タイトル

第1章: 春の出会い

春風が吹き抜ける中庭
新しい制服の袖を気にしながら、若菜は窓の外に目を向けた。中庭では、元気よく遊ぶ生徒たちの姿が見える。しかし、自分がその輪に加わる姿は想像できなかった。

「若菜、聞いてる?」
前の席から身を乗り出して話しかけてくる千夏に、若菜ははっとして顔を上げた。

「あ、ごめん。何の話だっけ?」

「もう、聞いてよ! 放課後、部活見学行こうって話!」

「部活見学……どの部活を見に行くの?」

「書道部! なんかね、すごく雰囲気がいいらしいよ。それにね、リーダーの先輩が超優しいって!」

「書道部……」
若菜は小さくつぶやいた。和歌が好きな自分にとっては、書道部はどこか惹かれる場所だった。けれど、見知らぬ場所に飛び込む勇気はなかなか湧かない。

「いいでしょ? 一緒に行こうよ! ほら、せっかくの新生活だし、いろいろ見ておかなきゃ損だよ。」
千夏の強引な誘いに押され、若菜は小さくうなずいた。

放課後、書道部部室
部室に入ると、墨の香りがふわりと漂ってきた。静寂の中で、先輩たちが紙と向き合い、筆を走らせている。その様子に若菜は息を呑んだ。

「こんにちは、新入生ですか?」
優しく落ち着いた声が耳に届いた。振り返ると、そこには背の高い先輩が立っていた。陽翔だった。

「え、あの……はい!」
若菜は緊張で声を震わせながら答えた。陽翔の柔らかな笑顔に、胸が高鳴るのを抑えられない。

「よかったら、ゆっくり見ていってね。書道、楽しいよ。」
そう言って陽翔は、隣の部員に軽く声をかけながら机に向き直った。その後ろ姿に目を奪われながら、若菜はなんとか笑顔を作った。

「若菜、どうしたの?」
千夏がにやにやしながら耳打ちしてきた。

「えっ、何も……!」

「顔真っ赤だよ~。もしかして、一目ぼれ?」

「ち、違う!」
必死に否定する若菜だったが、内心では陽翔の笑顔が頭から離れなかった。

その帰り道
「ねえ、若菜。どうだった?」千夏が満足げに問いかける。

「うん……すごく静かで、いい雰囲気だった。」

「でしょでしょ! それに、陽翔先輩ってすっごくカッコよくなかった?」

名前を聞いた瞬間、若菜はぎくりとした。

「……そうだね。優しそうだった。」

「ねえ、入部する?」

「まだ決めてないよ。でも、少し考えてみようかな。」

その夜、若菜は布団の中で何度も陽翔の言葉を思い返した。優しい声、落ち着いた振る舞い。あんな風に自然体で話せる人になれたら――そう思う一方で、陽翔が自分をどう思っているのかが気になって仕方がなかった。

翌日、教室
「若菜、おはよう!」
明るい声に振り返ると、そこには同じクラスの晃輝が立っていた。

「晃輝……おはよう。」

「あれ、元気ないね。昨日、千夏とどこか行ったの?」

「書道部の見学。結構、良さそうだったよ。」

若菜がそう答えると、晃輝は少し驚いた表情を見せた。

「へえ……そうなんだ。和歌好きだもんな。」

「よく覚えてるね。」

「そりゃ、覚えてるよ。昔、教えてもらったの、結構楽しかったから。」

若菜はその言葉に驚いた。自分が晃輝に和歌を教えた記憶がなかったからだ。

「あれ……そうだったっけ?」

「忘れてたの? まあ、いいけどさ。」
晃輝は少し拗ねたように肩をすくめた。その様子に、若菜はなんとも言えない申し訳なさを感じた。

「ごめん、思い出せないけど……晃輝は和歌、今も好き?」

「まあね。たまに作るけど、全然ダメだよ。」

「そんなことないと思う。今度見せてくれる?」

「うーん、考えとく。」晃輝がふっと笑った。

春の出会い